かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

趣味と不安とコストパフォーマンス

 

趣味は不安との戦い。
自分がやっていること、やりたいことを整理して思った。

 

数年前に Fear of missing out, 見逃す恐怖についてブログに書いた。
SNSの投稿や流行に遅れることに恐怖を感じることだ。

 

これに加えて、将来への不安が重なると趣味の時間を楽しめなくなると思う。
自分が本当にやりたいと思っていることを、十分に楽しめなくなる。

 

初見実況という価値への不安

Youtubeのゲーム実況を例としたい。
世間一般ではVtuberたちが様々なゲームを、新鮮なリアクションで実況している。

 

いわゆる初見の反応というやつだ。
他人がどう反応するかが気になるから、多くのVtuberの動画を見ても飽きない。
単体の切り抜き、さらに多くの人をまとめたよくばりセットの動画もある。

 

ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム の発売後、多くのVtuberが実況した。
パズルの解き方について、個性豊かな初見の反応を切り抜かれている。

 

じゃあ、それに続いて個人の人々も同じような動画・生放送を出すべきなのか?
需要がある、自分も見て面白いと思った。じゃあ自分もやろう。
それでもいいと思うのだが、問題は”必ず初見の反応であるべきか”

 

よく考えれば初見の反応にこだわる必要なんてない。生放送である必要もない。
自分がなにをやりたいのかだ。リアクションを他人に見せたいのか?
ゲームを楽しんでいる姿を生放送したいのか?

 

ゲームの楽しさを伝えたいならブログでもTwitterで感想を書くだけでもいい。
要所要所を録画して、楽しんだ記録を動画にまとめてもいい。

 

初見という新鮮さを失うことを恐れていないか。
新しいゲーム・話題作にこだわっていないか。

 

機会損失の不安

言ってしまえば機会損失の恐怖だ。
なにか貴重なものを失ってないか。

自分の中で新鮮なものがあり、それを失ってないか。
もしかしたら新鮮なものは売り物になるんじゃないか。

 

楽して、趣味でなにか稼げないだろうか。
なにか機会が手に入ったら、楽にならないか。

そう思うと、損をしたくなくなる。機会を失うことを恐れるようになる。
他人の真似をしたくなる。流行に乗りたくなる。
他人が気になる、分析しなきゃいけない、流行を調べなきゃいけない…

 

損をするのが嫌だから、なにかをするというのはやはり後ろ向きだ。
不安に駆られながらやることは義務感にもつながるし、面白くない。

 

流行に流されない

流行が気になって仕方ないのなら、ここ数年は激動で本当に疲れたはずだ。
商売ならば、MNPの端末セールが過激だったり、仮想通貨、せどりメタバース

たぶん今後はAI系ビジネスがホットになるのだろう。

 

Youtubeで見る動画も、トレンドはあると思う。
ゆっくり実況からずんだもん実況に。Vtuberたちの切り抜きはあっという間に増える。
今度は機械学習による自然なAIボイスの実況が増えるはずだ。

自動で情報収集などを行い、自動で字幕をつけ、音声まで生成する。
全部AIでやりつつ、低コスト、高パフォーマンスな広告付き動画で…とか。

 

でもそれが本当にやりたいことか?儲け話を失うのが怖くてやってるだけか。
お金を得ても本当にほしいものがあるというよりは、ないと怖いからじゃないのか。

誰かと差がつくとか、自分を上げる方法が必要だとか、周りがどうとか…

 

趣味に不安を入れない

世の中は実に不安につけこむのがうまい。流行も同じだ。
世間一般が身につけている、知っていることを知らないと損だと思わされる。

 

不安が大きくなると、趣味の時間にも不安解消要素を入れたくなる。
将来のためになりそうだから、ついでにやるとか。資格勉強するとか。

 

そういう不安だとか流行だとか、世間一般の標準スキルとか全部無視したほうがいい。
自分の本当にやりたいことをやらないと、楽しめない。ストレス解消にもならない。

たぶん趣味じゃなくなる。残業みたいな感じになる。

 

車輪の再発明でも、誰かがすでにやってるとか関係ない。
お金にならない、意味がない、誰もやってない。それでもいい。
自分の得意じゃない、うまくいかない、コスパが悪い、でもやりたいならやればいい。

 

コスパは呪いだ。お金に全部つなげようとしても、得られるのはお金への不安解消。
自分の人生でやりたいことが不安解消というのは、やはり寂しい。

 

いつの間にか自分が流行だとか、機会損失に怯えていることがわかったので、備忘録としてここに書いておく。忘れないようにしたい。