かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

野良協力プレイの難しさ

 

Novel AI

ゲームにおいて野良で仲間といっしょに頑張るという経験があまりない。
FPSをちょっとだけ触ってわかったが、味方やチームという責任が重たい。

味方が凄ければ、自分もついでに勝ててポイントも貰えて嬉しい。
自分が頑張ってるのに味方が足を引っ張ると勝てない。

味方というのは仲間のはずなのだが、”厳しいお言葉”をもらうこともある。

 

格闘ゲームの場合、対戦は自分自身でやるし他の人は関係ない。
たぶんチーム戦で3vs3として、一本ずつ戦ってもほぼ影響がない。
武道の先鋒・次鋒みたいな扱いで、結局大将が全部なぎたおしてもいい。

 

チーム戦で見ず知らずの人と組んで戦うって実は難しいことではないか。
学校とかでクラスの人とサッカーとかバスケをやるかもしれないが
それよりも遥かに難易度が高いのではないか。

 

おまけにネットで匿名でやりあうわけだから、現実感が少ない。
そうなると個人個人じゃどうしようもない難しさがあると思う。
別に教本があるわけでもないし、ましてやゲーム。個人個人で真剣さはばらける。

 

学校の授業でもバスケ部や中途半端にフィジカルがある体育会系は仕切り屋で怖かったのを思い出す。なぜか仲間に対してプレイが下手な人間に厳しいのだ。

ゲームの腕前は練習量やプレイ時間、座学に依存するわけだが…
構図的には学校でやらされる体育の時間の無理やりに組まされたバスケの試合とかと変わらない気もする。

 

案外FPSゲームとか協力して仲間と頑張る系のゲームは体育会系、陽キャなものなのかもと少し思った。うーん、自分には向いてない。

基本的に卓球だとか個人で完結できるやつが好きだった。
サバイバル系、個人系のFPSはまだいいかもしれないが、協力プレイするFPSは向いてなさそうだ。そういうのが少しわかるようになってきた。

 

なにより、結局は他人と比較して自分がどのレベルかを知りたい欲が大きい。
もしくは、偏差値的なランクというものをゴールとして頑張ってみたくなるやつ。

 

ゲームを楽しむというより、ランクという認定証がほしいようなものだ。
それはたぶん、テストでいい点を取るとか大学に合格するというのが目標になりすぎて、本来の学問で知識を得ることを楽しむとか研究するという部分が抜けちゃうのと似てるかもしれない。

 

うまくなった実感がほしい、うまいという認定証がほしい。
敵も倒したいし、エイムで圧倒したい。
競い合って自分の腕前が証明されたら嬉しい。

 

けど本来は別に一人用ゲームでも十分スコアとかも測れるし、RTAとかもある。
ランクだとか、うまさとか、ゲームに備わった”競争させるためのシステム”に踊らされないよう、自分がなにをやりたかったか、どうなりたいかを考えるのが大事だと思った。

 

なんとなく、Youtubeに”すごいプレイ”とか”e-sports選手”とかがあって、憧れたり攻略とかもあるから影響されやすい気がしてならない。格ゲーも同じような気もするけど、現代のオンライン対戦とYoutubeが全体のレベルが引き上げて大変なことになってる気がする。

 

プレイ人口が多く、有名Vtuberも参加してたりするわけで。
同じように配信する人もいれば、ただランクを伸ばすことが好きな人もいる。
もちろん妨害するのが好きとか、ただ銃を撃つのが好きとか…

 

たぶんみんなゲームのセオリーを知らない、Youtubeにもすごい動画とか攻略がない状態でリリース初日のゲームとかで遊んでれば平和なんだろうなという気もするが、まあ…現代ではすぐにネットで進化してしまう。

 

なんかゲーム性が激しいんだろうなとも思った。
ランクマッチ、プレイスキル、スコアレート…他人と比較や勝ち負け…
原初的な他人との対戦という部分はあれど、それをさらに掻き立てる要素を今のゲームは持っていて、それが好きな人達が大勢いるんだろうなと思った。

 

スマホのゲームのイベント戦とか。うーん。
どんどんゲームの”他人との比較で稼ぐ”スタイルに磨きがかかっていて恐ろしいなと気づいた気がする。