かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

Google Hotel

 

ふと朝起きて「OK,Google おはよう」とか今日の天気は、テレビの電源をつけて…と繰り返していると自分の家の所有者が実はGoogleなのではないかと錯覚してしまった。Googleにお願いしなきゃ生活できないという錯覚だ。

 

将来スマートフォンを持ち歩きながらホテルを予約して、案内もすべてGoogleであり、部屋の電気や室内のエアコンの設定まで自動管理してくれるかもしれない。ユーザにとってホテルの部屋の快適な設定は一つだが、従来のホテル側にはそれがわからず一般的な設定と案内しかできない。Googleにはそれができる。

 

そうしていくとGoogleの生活管理とか生体管理にもつながるなと実感してしまった。こうしてホテルの自動化が進んだとき、これはAIなどにとって人間が電気自動車のような存在になっているのではないだろうか。電気自動車の充電スポットに人間を接続して、働かせて、調整して、ネットワークで管理して…なんてことをふと思ってしまった。

 

kayanomi.hatenablog.com

以前に燃料補給のような食事という衝撃的な風刺画の紹介をしたけれど、あそこに書かれていた存在は両方共人間だった。人間が機械的なことしかしてないという揶揄だったと思うが、いつのまにかAIから人間への補給になっていないか。

 

どうも人間は無駄を省いて効率を良くして最適化していくと、それはもしかすると創造性とかを失いかえって人間味がなくなり機械と競争するはめになるのかもしれない。…人間は働けば働くほど機械化するならば、もっとたくさん遊ばなければならないのかもしれない。なんとなく奇妙な話だ。