変わったギークたち
VRChatをやることになるとは思っていなかった。
存在はそこそこ知っていた気がする。
ただ、自分がやる意味があるとは思っていなかった。
そもそも自分はオンラインゲームがあまり好きでない。
だいたいはオフラインゲームが大好きだ。特に据え置きゲームが好きだ。
一つ一つのゲームの物語が完結していてほしい。その世界観に浸りたいからだ。
VRの世界にもあまり興味がなかった。すごいとは思うが、夢中になれるものがない。
VRをやったところで1,2回で飽きるはず。ただのアトラクションのように思っていた。
価格も高いし、アーケードマシンみたいなものだろう。
それを自宅に置いてやっている人たちはまあ、ギークなんだろうと。
人の心、生活を変えるゲーム(らしきもの)
withnews.jp
そういった認識を改めざるを得なかったのがこの記事だ。
引用すると相当すごいことが書いてある。
筆者、満56歳であります。分別盛り、世間的には定年も近い。恥ずかしながらこの年になって、心の中に「美少女」が宿っていることに気づきました。自分が美少女になって動くアプリケーションを使ったところ、今まで一切感じることのなかった少女の気持ちが心の中に生まれたのです。
これはいったいなんだろう?
年齢もさることながら、ここまで詳細に自分の心の変化について記述されているなんておもしろすぎる。
このレポートにぐいぐい惹かれてしまった。
果たしてこれはVR一般に言えることなのか。自分にも当てはまるのか。
考えれば考えるほど興味は尽きなかった。まさしく新時代の体験だ。
そしてVR睡眠という記事。
ここで初めてなにかが起きていることを感じ取った。
これはいわゆる普通のゲームの体験とは相当にかけ離れている。
自分自身の感覚に強烈にフィードバックしている体験。
そして、自分自身をバーチャルの存在として溶け込ませているような体験。
そのどちらもが、SFの世界の話のように思えた。
それらがもはや実現してしまっているのか。それは相当に衝撃だった。
悩む理由が値段だったから
こうした情報を見てすぐにVRをやりたいと思ったわけではない。
でも自分にはやるだけの理由があった。過去に書いた自分の記事が理由である。
一つはこの記事だ。
VRを始めるには結構な費用がかかる。
それまで自分はVRができるレベルのPCを持っていなかった。
またヘッドセットもピンきりだが、両方合わせるなら相当なものだ。
でもこの記事を書いたのに買わないわけにはいかない。
「買う理由が値段なら止めておけ、悩む理由が値段なら買え」
フルトラッキングにしたのもこれが理由だ。どうせ後で買う。
とりあえず先行投資としてケチらないことにした。
未だに活用できているとは言い難いが、後悔もしてない。
lainの記事を書いたから
二つ目はこの記事。
このブログで実は一番の人気を誇る記事だ。
実ははてなブックマーク数に比べ、圧倒的にアクセス数が多い。
それはGoogleでlainと検索するとだいたい上位にこの記事が出るからだと思う。
おそれおおいことだが。
このlainの記事では人間は記憶の存在であり、実際に会っていてもいなくても、そこにある情報によって互いを理解し合っているだけということを書いた。
VRに対して非常に肯定的であり、現実に対する第二の世界として扱うべきじゃない。
そんな風な思いをこめて書いていた気がする。現実至上主義に対する疑念だ。
自分たちの認識だって本当は自分の思い込みによって成り立っているのだと。
その書いた本人が、VRに尻込みするというのは矛盾じゃないかと思ってしまった。
この記事を書いたのに、まだVRを体験していないというのはおかしいのでは。
だってもう、lainらしい世界が実現しているというのに。
lainを肯定するならある意味で自動的にVRを肯定するのと変わらないはずだ。
そういうわけで、結局自分が書いたことを実行するためにVRChatを始めたのである。