いろんな疑問があって、全部を一気には解消できない。
だからメモとして今考えていることを書いておく。メモだ。
苦しいから吐き出しておきたい。
最近の疑問といったら、建築で使われるあの棒の羅列だ。
ルーバーと言うらしいけれど、四角い細長い木を並べているやつ。
間から風景がチラチラと見えて、そこに照明を当てると綺麗に見える。
なぜあれを綺麗に感じるのだろう?そして流行しているのだろう?
あの物体で表現したいものはなんなのだろうか。わからない。
じゃなきゃ自分で使えない。
和の大家と呼ばれる隈研吾の建築などによくある気がする。
まだまだ勉強が足りていないので、どこが発祥なのかはわからない。
昔からあるデザインといえばデザインなのだろう。
根津美術館とかは間接照明もあり、なんだか和風っぽい。
でも近代的にも感じる。あの木の羅列は日本らしさの記号表現なのだろうか。
あれは西洋でも流行っているのか。日本発祥の建築としてオシャレだと使われているのだろうか。
森美術館では去年、建築の日本史と言う特別展をやっていたようだ。
まだ建築に興味がなかったからしょうがないのだけれど、悔しい。ぜひ見たかった。
キャンプションには柱とは日本的には力の表現であるとか書かれていたらしい。
確かに鳥居とかは柱で構成されていて、よく考えれば相当すごい。
おまけに日本は地震大国でよく木で構成された建物が倒壊しないものだ。
西洋の建物は地震に対して強い訳では多分ないと思う。
だからこそ西洋と日本では建築の方式が違う…のか。
なんでこんなに疑問があるのかといえば、自分が作っていたものにショックを受けたから。
自分がなんとなくで作ったものが、現代っぽいなと気づいたから。
最低限の柱とそこから生まれる影を好んでいた。
だけどなぜそれが好きなのかはわかっていなかった。それがつらい。
自分でもわからないものを作って、なんとなくいいじゃ自分が全然満足できない。
なんで自分は脱構築主義とかそれっぽいような建築っぽいものを作ったんだ?
と言うかそう言う文化の名前もよくわからない。
誰が名付けてどこまでがどう言うものなんだ?
今は何を目指しているのか、今自分の周囲にある建物たちはなぜ生まれたんだ?
どうしてこれを世間は今好んでいるんだ?
ニュースになったザハハディドとか、すごいと思う。でもどう言う風にすごいんだ?
なぜ人はそう言う空間を求め出すのか?国の威信か?どれくらい経済効果があるんだ?
美術作品を街中に産むのが目的なのか?太古から建築と言うのは神聖化されすぎじゃないか?
宗教建築ってなんだ?神社とかもそれに当たるのか?
なんで建築の博物館とかのキャンプションはそれっぽーい訳のわからないスピリチュアル文章が書かれてるんだ?
誰に書かれているんだ?なぜそれをかけるんだ。
誰が納得して、誰のために書かれているんだ。
そう書いた根拠はなんだ。
間接照明はなぜこんなに現代で多用されるんだ?
柔らかい光がなぜ安心感なんて陳腐な言葉で説明されるんだ?
焚き火に安心する気持ちとかもうちょっと納得できる説明が欲しい。
和風建築はすごい。柱の組みとか。
でも日本には昔建築家と言う言葉はなかったらしい。
複数の大工の棟梁が協力してデザインを編んで作ったのか。ああ、歴史も知りたい。
考えすぎ、答えなんてない、気にするだけ無駄、下手の考え。
そんなことを言われたって、自分は自分だ。人と違うなら、それはしょうがない。
ただ自分で納得する答えが必要だと言ってるだけだ。
的外れな言葉なんて自分には意味がない。
病んでる訳じゃないと思うけど、冷静に見ると病んでるのかもしれない。
執着している。
納得しないことばっかりだ。まるで子供だ。
でも初学者だからこそ、子供とまるきり変わらない。感動もするけどイライラもする。
わからないことに感動する自分と、イライラする自分もいる。
わかってもらえないことを人に言うのは苦しいことだ。
自分でも整理がついていない、悩んで迷っていること。
やらなきゃいけない解決しなきゃいけない途轍もない勉強量を思うとクラクラする。
おまけに世の中は強い人ばっかりだ。
建築の学生になんか叶わないだろう。
3Dの本業でいくつも作っている人になんかなおさら。
すごい素敵なものを作る人は大勢いる。
そんな中で自分は自分の好きなことを、わからないまま作っていいのか?
苦しくて仕方がない。自分に納得できないからと言うのが大きい。
そして、この苦しさって言うのは口じゃ伝わらない。
人に伝えたところで解決しない。解決するには疑問に感じていることをリスト化して、一つずつわかっていくしかない。
わかる方法は多分作ることだけ。解説とかを読んだところで納得しない。
作ってみて自分で自分のものにしてみて初めてわかる類のものだと思う。
そして、自分でなぜ作りたいのかよくわかっていない。
こんなに苦しいならやんなくてもいいなあと思う。でもVRで見る景色が綺麗だ。
おまけにお金も全然かからない。そして一緒に過ごすこともできていい。
話題の種にもなる。理屈ばっかり出てくるけど意味がない。
この道がお金稼ぎになるとは思わないし、思ってもいない。
でも、作りたい。気になる。わかりたい。馬鹿にしないで欲しい。
一文にならなくたって、自分のためでしかなくたって。
人の役に立たなくたって下手だって。
わかっちゃいるけどなんかやりたいのだ。
人のつぶやきなんて関係ないと思いつつ、みては違うんだと思っても誰にも言えない。
何も考えずにやりたいけど、いろんなことが邪魔をする。
自分の考えが邪魔で苦しい。いろいろめちゃくちゃで大変だ。苦しい。
わかって欲しい訳じゃないし、伝わらないからこれ以上は書かない。
わからない人に、わかってくれない人に伝えて
自分ががっかりするのも期待しすぎで悲しくなる。自分が惨めに思える。
ぐちゃぐちゃだ。でも、楽しいんだ。夢中になって傷ついている。
この苦しさは自分のものだ。いつかわかった時、楽しかったと書きたい。
めちゃくちゃなこと書いている自覚はあるけど、内心はこんな感じ。
書いてて思うけれど、自分は理屈と納得が世の中のいろんなことにくっついてないと気が済まないのだろうなと思う。頭が固い。
どうにも不器用だ。もっと楽に生きていれば幸せになれていたのかもしれない。
そう思うけれど、しょうがない。しょうがないんだ。
全てのことに自分でラベルをペタペタ貼って、たくさん文字だらけになった世界が楽しいのか。そう思うとゾッとする訳だけど
それでも自分は不器用だからそうするしかないんじゃないか。そう思う。