かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

作ることの恐怖

 


 お風呂ってやっぱいいなと思う。苦しい悩みも、期待していないのにふと晴れる。
自分にとって安心できるのか、お風呂に入ると悩みの答えがでてブログを書きたくなる。でも、のんびりしたい気持ちと、書かないと忘れてしまう葛藤に悩まされる。
結局書く方を選ぶ。

 悩んでいたのは作ること。VRChatでワールドを作ったり、Blenderでものを作れるようになった。新しくShaderの勉強もしたくなったし、学びたいこと、作りたいことが増えた。
でも、この先があるのだろうか。これは自分の将来のためになるんだろうか。無駄じゃないか。上手い人はいくらでもいる、プロもいる。そんな中で自分が作る意味はあるんだろうか。

 こういう考えになる理由はとっくにわかっている。それは疲れ、寝不足。
夜中の3時半までずっとBlenderモデリングを楽しんで作ってしまった。その反動だ。やはり寝不足は病む。とてつもなく。
考えなくてもいいような悩みを増やしてしまう。
でも、元気なときも無意識のうちに不安になっていることが表面化しただけでもあると思う。だから無駄でもなく、無意味でもない。悩む価値はあるものだ。たまに精神も浮き沈みしたほうがいい。

 

作るってやっぱり怖いことだよなあと思う。不安になる。自分にできるのか、失敗が怖い。それは周囲の評価よりも自分の内側の声のほうが障害になっている。
これは自分のためになるのか、無意味じゃないか、将来のためになる他のことをやったほうがいい。遊んでないで仕事のキャリアアップとか英語の勉強とか、いろいろ。

でも理性ではちゃんとわかっている。世の中なにが役に立つかはわからないし、楽しいことをやっているだけ。趣味の時間を充実させることはいいこと。なによりできることが増えるのは嬉しい。

 

わかっていても、自分の心の奥底で不安がる気持ちは消えない。どうすればいいんだろう。悶々と考えて答えがしばらく出なくて、一人でじっと長く考えないといけないかなあと思っていた。
けれど、ふと思った。じゃあ自分の内心になんて声をかけようか。
作っていいですか。失敗していいですか。なんのためになるかわからないけど、作り続けていいですか。
こんなことなんで自分に聞くんだろう?答えは全部Yesのはずだ。

 

周りに聞いたって意味がない。そんなことはわかってる。
どうせ駄目って言われたって、いいよといってくれる人を探すだけ。
その答えだって満足せず、結局は自分の心の不安と向き合うしかない。人の答えじゃなく、自分で答えなきゃいけない。

 

 作っていいですか、それは大丈夫なのか、作れるのか、不安じゃないか、時間はどれくらいかかるんだろうか。まるで上司に言い訳しなきゃならないみたいだ。ここまで来ると、自分は相当臆病だってわかる。
作るっていうことにこんなに、自分自身でハードルを高くしている。不安だらけだ。
どうしてこうなったか、それはたぶん自分に自信がつかないまま生きてきてしまったからだろう。


それはもうしょうがない。これはたぶんずっと消えずにうまく付き合い続けるしかない。作っていいよと失敗していいよと自分に言い続けるしかない。
自分でも笑ってしまうぐらいへんてこだってわかってるのに、でもできないのは不器用だからだ。しょうがない。

 

 なんのためになるかわからないけど続けていいですか。遊んでいていいですか。楽しんでいいですか。こうやって自分に聞かなきゃいけないってことは、自分はそれを罪だと思っているんだろう。
罪悪感。遊んじゃいけない、もっと頑張らなきゃいけない、真面目にしなきゃいけない、勉強しなきゃいけない。
いろんな根深い呪縛がある。普段じゃ気づかないこともある。真面目でいるって大変だよなあ。
そして、真面目じゃないことをしてずっと罪悪感とかを抱えていると自己評価はずっとマイナスだ。それが積もって、新しいことをしたり遊ぶことに抵抗が生まれているんだろう。ホントはこういう呪縛が消えればいいのだけれど、それはきっと難しい。いろんな人がずっと悩んでいるはずだ。

 

 自分にとって作ることは難しいこと。それは作ることの難易度以上に、自分がやってもいいのか自分自身で不安になること。なんて無駄なことなんだろうか、一人で勝手に相撲をとって疲労して。でもそういう人、多くないだろうか。
なにかを始めるのが難しい人ってたぶん、こういうことで悩んでるんじゃないだろうか。わからない人は幸せだろうなあと思う。やってみればいいよっていうのは、役に立たない。自分でやろうとして、やってみて、続けられるくらい自分を信じられること。自信をもつこと。なによりも難しいことで、それが身につけば他のことだって苦労しないだろう。

 

もちろん作ったものに憐憫を向けられることなんかされたくはない。作品はそれそのものが評価対象だ。バックグラウンドに意味なんかないし、自分にだけ意味があればそれでいい。

がんばりたい。作りたいなあ。なんの役に立つのかわからないけど、自分ができることが増えることが嬉しい。
それをちょっとずつ、できるってことを増やして自分の自信を増やしたい。
そして、いい風景が見れることを祈りたい。それでいいんだと信じたい。
自分の作っているものは自分にしか意味がなかったとしても、無意味ではなかったと思いたい。