昔から絵を描くことに憧れていたのだけど、全然描く練習も続かなかった。
でもVRChatをはじめてから3Dモデリングはそこそこ長続きしていると思う。
めんどうなパース、ライティング、色付けがさくさくできるから続いたのではないか。
そんなこんなでそこそこ背景画っぽくいろいろいじった。
少なくとも50くらいはいじったと思う。
自作じゃなくて、買ったものとかを組み合わせた画作り。
練習が続かない、絵が描けないという問題から脱却したものの、さらにいろんな問題にぶちあたってきた。
色がわからない。適切な色の配置、空間の広さへの寄与効果。
空間の区切り方がわからない。仕切りで区切る以外の方法を探さなきゃ。
直近ではリアリティが足りないという問題にぶちあたった。これはクリティカルだ。
非常に根深い問題に思えるのだが、ある程度自分で納得したことがある。
家などの屋内のシーンでは、家具、小物が生活感を非常に高めてくれる。
考えてみれば非常に当たり前の話だ。
引っ越ししたての部屋に生活感もリアリティもない。
たぶん○○博物館、記念館にある家具を全部取り去ると非常に寂しくなるだろう。
傷や汚れもたしかに大事だが、そこで生活をする、していたという証がリアリティに大きく影響するのだろう。わざとらしくなく、必要だよねと納得できるような。
同時に、自分がいかにリアリティを軽視していたか、なめていたかに気付かされる。
家具なんてありあわせのものでいいじゃんと。そこに配置されてればいいでしょと。
VRではだれも座れたりはしない。飯も食べれないならただの背景の一要素でしかない。
じゃあ適当でいいじゃん。そう思っていたことがものすごい甘いことだと思った。
本当に自分の手で1から世界を作ってみたとき、そのしょぼさにびっくりした。
あまりにもリアリティもなく、見ていて非常に非常につらくなって急いで全部消した。
原因はなんだったのか。
いくつかあるけど計画性のなさ、そして観察力のなさだと思った。
参考にしているものを、全く参考に作ってないからよくないのだ。
初心者なので完全にオリジナルでは作らずいくつか参考資料をもとに組み合わせたり省いたりして作る。でもその組み合わせもまったくふわふわしてうまくいかない。
原因は、見ているようで見ていなかったこと。
自分が好きな画像を、好きなところだけしか見ていなかった。
自分が大事だと”勝手に思い込んでいる”ところしか再現していなかったこと。
これに尽きる。思い込みがひどかった。気づくことはできなかった、作るまでは。
思い込みで作ると、なんか足りないのである。細部はいいや、誰も見ない…。
そう思って省いたものが、リアリティを異常に下げてゆく。
実は無意識でそこになにかあると感じているだけで、リアリティを感じる要素になりうるのだろう。省いてはいけなかった。作った人がリアリティを高めるために用意した要素を省いてしまっていたのだろう。
絵を描く人になってしまったせいで、
— 淡藍 (@u__nn_udon) 2020年5月3日
絵を描かない人がいい絵を見た時の感動を100とすると、
それが感動40悔しさ20羨ましさ20死にたさ20くらいの配分になってしまったので、絵を描かない人である人格を作って素直に100感動したいな...
上記のようなツイートが少し話題になっていたけど、自分は絵を描く、3Dモデリングをする、ワールドを作るようになってよかった。
作るには、観察眼を高める必要がある。
好きだと感じる絵の、好きじゃないところまで解像度を上げて鑑賞しないといけない。その絵を作るのにかかる労力とか、自分ならどうやって組み立てるかまで考えないといけない。
そこまでやってみると、いかにそれが素敵なのか、難しいものなのかすら感じられるようになる。より貴重に感じられる。
まあそれはそれとして、かなり疲れるので困ったものだ。