かやのみ日記帳

日々感じたことをつれづれと書いています。

ワールドづくりを通して気づいたこと

 

レイヤー構造について

絵を描くときはレイヤー構造が一般的である。
レイヤー構造は、まあ重ね塗りみたいなものだ。上に紙を重ねるような。
例えば下絵をマスキングして、上に描く絵になんらかの効果を重ねたりする。

 

で、自分にとってこれは疑問だった。なぜレイヤー構造なのか?
どうしてこれが選ばれたのか。便利だし、必然だとは思うのだが、しっくりこない。
このことについて、自分なりに答えが出た。

 

レイヤー構造は時間的な側面も持っている。ただ工程を重ねているわけじゃない。
手順のようなものだが、時間軸を持っているとも考えられる。
人工的に作られたものはすべからく、手順によって加工されている。時間をもって。

 

なんというか、同時はありえないのだ。時間に沿って加工されてゆく。
手順と時間。当たり前だし、書いてみても??のところがある。
けど、自分の中でこれはすごい大事なことのように思う。
まだたぶん解像度の低い理解なんだろうけど、キーワードは手に入った気がする。

 

このレイヤー構造について、Blenderなどの3Dモデリングソフトでは見かけない。
全部がフラットであるか、関数や機能をどう重ねるか?というのは存在する。
ただ、レイヤー構造的ではない。Booleanなど差し引きしたりはあるのだが。

 

現実で鉄骨を作るとき、どのように作るだろう?自分はよく知らない。
現実を無視した作り方をBlenderなどでやることができる。
でも、全然うまく行かない。自分が下手なだけかもしれないが。
ある程度現実の製法も参考にしたほうがいい。そして、現実の製法には手順がある。
その手順をレイヤー的に考える、そういうのがいいんじゃないかと思ったのだった。

 

小物の重要さ

部屋における小物というのがどれだけ重要か、また一つ学んだ。
ワールドを作ってみるとわかることがいくつも、いくつもある。
自分が世界をどう捉えていて、なにが重要なのか順番付けしたことすらわかってくる。

 

最初の自分の世界は構造だけだった。形があればいいじゃんと色も細部もあまり見ていなかった。作ってみるとなにかが足りない。
それは細部の観察不足であり、自分が世界をちゃんと見ていない証拠だった。不要なものなどなかった。思い込みばっかりだった。

 

例えばカフェなんてきれいめの照明があって、暗い壁があって、食べ物があればいい。
そんなふうに考えて作ってみるとのっぺりとして、リアリティがない。
じゃあ机や椅子を並べてみる。でも足りない。メニューとか呼び鈴、紙束などを置く。
まだだめだ。天井の組み、配管、景色、照明器具、店員さんに厨房、コンセントは?
置物、ちょっとしたポスター。くずかご。いろんなものがリアリティに必要なのだ。

 

足りないなあ、そう思うのは自分の作ったものにだけ。他の人のものには思わない。
その人が大事にしてきた世界観だったり、表現したいものはそのまま受け止められる。
ただ、自分のにはごまかしができない。なにかが足りない、そう思ってしまう。
足りないと思ったとき、それは自分の観察が甘いのだ。作りが甘い。

リスペクトしよう

かんたんにものを作るのはよくないなあと相反することを。
例えば組子細工。日本の和の極みみたいなものだが、Blenderでさくさく作れる。
ただ、現実で作るには途方も無い苦労と時間をかけてやる必要がある。
素材の接着には古来の米を使った自然のりを使ったりもする。

 

それらの職人の極み、時間をかけて作ったものをBlenderであっという間に?
職人に怒られてしまいそうだ。早く作れればいいってもんじゃない。
手間が少ないとかさくさくとか、そういうのは尊敬を欠いているのではないか。
3Dプリンタだったりレーザーカットできれいに作れる時代が来ているのかもしれない。
でも、美しいものへのリスペクトだったり、実際の手順を学ぶのは悪いことじゃない。

 

こういうのは作ったものに現れないかもしれない。
でも、作る心として大事だなと思った。
現実で作られたものは、それぞれに職人がいる。自分じゃ何日かかっても作れない。
たしかにBlenderなどのツールはすごい。フルスクラッチ。すごいとは思う。

 

ただ、急いで作ったり、かんたんにできると言うのは、違うのかもしれない。
自分自身に対してこれは言っている。焦んなくていいよ。ゆっくりやりな。
現実より手間暇かからないけどさ、作るとき、実際に作った人の心を忘れちゃいかんな。物の価値って早く作りゃいいってことじゃないからさ。
なにより自分がそういうのよくないなと思ったから、そうしようと思う。