僕は小学校の頃、バスケが下手で下手でクラス中からバカにされていた。
運動音痴で、ボール1つまともにとれやしない。
チームに入ると疫病神扱いである。
じゃあ小学校のバスケの嫌な思い出がいっぱいあるか?というと案外思い出せない。
それよりも思い出すのは、体育館で後片付けを一人でしているとき。
そっと体育会系のいかつい、あんまり話したことない人がそっと声かけてくれたこと。
「気にすんなよ」それだけだったけど、いまもずっとずっと覚えている。
もう本人も覚えてないと思うし、何気ない言葉だったかもしれないけど。
でも本当にいい言葉だった。心が救われる一言だった。
体育ってのは頑張らなきゃいけないものだ。成績もでるし、運動はできたほうがいい。
バスケぐらいできたほうがいい。できないやつが悪い。足引っ張るやつが悪い。
下手ならうまくなるために練習するのは当然。
そういう体育会系正論が好きな人もいるだろう。信念にしている人もいると思う。
創作でも似たようなことはないだろうか?
頑張らなきゃいけないとか誰かに認められなきゃいけないとか。
賞を取るとか、なにかのインタビューに出るとか話題になるとか…。
でもまあうまくいかないと傷つくし、へこむ。
世間的に評判がよろしくなかったとか、バズらなかったとか。
けれども、友人などが「でもわたしはすきだな」って言ってくれたら嬉しい。
その場で言われると全然、とか誤魔化しちゃったりするけど。
あとからじわじわと思い出すように、そういう優しさが癒やしてくれることもある。
賞を取るとか世間的にいいものと言われるとか話題になるとか。
そういうこともいいかもしれない。
けど、身近にいる人にいいねと言われることも大切にできるといい。
こういうことを書いているのは、なんていうか…たぶん届かないから。
ある作品を見て、頑張っている人たちがいて。けど賞には届かなくて。
でも僕はいっぱいいろんなものが素敵で、それぞれのよさがあってよかった。
僕の一言がその人達に届いたとしても、価値がないのかもしれないけど。
僕はいろんな人たちが作った、それぞれのよさが活きているもの。
それはとてもよいものだと思った。僕はいいと思った。そういうのだめかなあ。
ちっぽけで意味のないものかもしれないけど、よかったら。
「気にしないでいいんじゃないかな、僕は素敵だと思いました」
もちろん僕なんかじゃなくて全然構わない。誰か友人の人が声掛けしてたらいいね。
当たり前すぎることだし、どこでもあることなのかもしれないけど。
まあ、僕なりの感想である。